ソノマの暮らしブログ

アメリカで離婚するということ

 二人に一人が離婚しているアメリカ。私の数人のアメリカ人の友人も離婚しています。 でも外国人である日本人がアメリカで離婚するといううことは大変なことだろうなあといつも思ってました。サポートしてくれる両親や家族はアメリカに住んでいないし、アメリカで友人に頼るといっても限度があるだろうし、、、。

私はカリフォルニアに来る前は札幌地方裁判所の民事部に所属する速記官とてして勤務してました。数回、離婚訴訟の法廷で速記をしましたが、根本的には資産家が資産の分配をどうするかということで争って、訴訟にも持ち込まれるというものでした。

速記官として法廷に入っていたので、法廷での手続き等がわかるということで、年に2回ほど(全くない年もあります)北カリフォルニアのベイエリアにある裁判所の通訳として呼ばれます。日本人は犯罪を犯すこともほとんどないので、滅多に呼ばれないのですが、日本人が多く住むサンフランシスコだと交通違反、離婚等のケースがよくあるようで、結構声がかかりました。でも朝9時に裁判所に着いていなければならないので、朝のラッシュアワーに2時間かけて車を運転してソノマから通うのがきつくて、数年前から仕事を受けてません。

先月、ソノマから車で1時間ちょっと(高速を走って)の所にある裁判所から午後2時の通訳ということで声がかかりました。離婚裁判に持ち込む前の手続きを助けてしてほしいという日本女性がいて、英語が(特に法律用語)あまり得意でなないので、通訳に来て欲しいと言うことでした。 この時に初めて知ったのですが、裁判所内に事情を聞いて離婚申請書に書き込んでくれて、必要な書類等を教えてくれる無料の相談所があるのです。

共有財産をどうしたいかということが主な問題でした。担当の女性は親切にそして辛抱強くこの女性の話を聞いてました。一番彼女にとってベストの分割案などを提案してくれるのです。 気が動転しているのでしょう。質問に答えずに、あれやこれやと事情を話すのですが、嫌な顔一つ見せずに聞いてました(私の訳を通して)

日本でも最近は離婚するカップルが増えているそうですね。あるサイトによると3カップルのうち1カップルが離婚しているそうです。

日本では離婚するカップルの90%が協議離婚だとのこと。離婚に同意したら、離婚届に二人で署名押印して、保証人二人に署名押印してもらって市役所に離婚届けを持って行く。慰謝料や財産分与などは二人で話し合って決めるということで、手続き上は比較的簡単ですね。 離婚に不同意だったり親権や財産分割などでもめた場合は家庭裁判所で調停してもらって離婚を成立させる、それでも同意できない場合は法廷で争うということになるようです。

アメリカでは州によって法律が違います。私が通訳としてお手伝いしたのはカリフォルニア州の離婚法に基づいた手続きの仕方でした。

日本の協議離婚に近い手続きでも裁判所を通さなければならないので、この女性にとっては大変だと思います。 規定の離婚願書(離婚申請書?)に書き込んで裁判所に届けなければなりません。資産、収入、借金、税金申告書、銀行口座の詳細、生命保険、子供がいる場合は親権等を書き込まなけれなりません。(書類のコピー添付かもしれませんが、、、)共有財産等の分割案に二人が合意しても、それを裁判所に提出して裁判官の認定を受けなければなりません。それが大変なので弁護士を依頼する人も多いようです。弁護士の費用が高いので、弁護士を依頼しないで独自に離婚手続きをする方法がサイトに結構載ってますが、英語が理解できなければ無理です。 そしてなんと裁判所に手続き費用を払わなければなりません、 その離婚申請書に基づいて裁判官が離婚を承認?することによって、離婚が成立します。

担当の女性が必要書類の一つを手に入れる場所の電話番号を調べに席をはずしました。その間、彼女の事情を色々と私に話すのです。

「私何歳に見える?」

「70代前半かな?」

「81歳。若く見えるでしょう」とにっこり。

二人の娘もあてにならないから「一人で生きて行くの」ときっぱり。 そのためには最低の生活費を何としても確保しなければなりません。

「日本に帰らないのですか?」

「帰らない。帰っても誰もいないから」

でも落ち込んでいる様子はありません。

「老人クラブでボランティアでコーヒーを入れたりしてるのよ。父が知恵のある人間になるようにって知という文字を名前に入れてくれたの。だから賢く生きていくわ」  

外国で離婚するということは大変なことです。でもその場面に直面したら、乗り越えていかなければならないのだから、落ち込んでる余裕などないのかもしれませんね。 一人でこれからどうしよう、、、と落ち込んでいる様子は見られません。もうそれを超えたのかもしれません。

外国で一人ぼっちになっても、毅然として生きて行く日本女性を見て何かホッとしました。

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