ソノマの暮らしブログ

友人が自殺

長年の友人が最近自殺してしまいました。

名前はマイケル・フェオラ。年齢 60歳。 ジュエリーデザイナーで、プラザにジュエリーのお店を持っていました。彼との付き合いは10年以上でした。 あるワインイベントで彼が奥さんのメリー エレンさんと一緒に参加していたことから友達になりました。マイケルは 優しい笑顔と穏やかな様子のハンサムなイタリア人の男性でした。メリーエレンハウエルファーゴ―・バンクの保険部門の副社長を務めていました。イタリア生まれのマイケルとアメリカで生まれの生粋なイタリア人のカップルから、イタリアの良い習慣や悪い習慣、 典型的なイタリア人の大家族間の揉め事などについて学ばせてもらいました。私とカップルの 3人で、 時にはもう 1 カップルと シングルマザーのレスリーと6人で1ヶ月に1度、 各自が好む レストランへ行ったり それぞれの家で持ち回りでディナーをしたりとい長い付き合いをしてきました。 特に私とマイケルは気があって、彼が他の人に私を腹違いの姉と紹介していたくらいです。
全員がワインと食べ物が大好きということでつながった仲間でした。

leaves with rain large
5年くらい前にメリー エレンが若年性認知症になってしまいました 。医者からの診断では5年後には死亡すると言われていたようですが、 私はそれは誤診と信じてでいました。マイケルは心の中ではそれを理解してたのですが、私には誤診のように話をしていたので、それを信じていたのです。でも だんだんと 病状が進行して、歩くと転ぶし、 最後には お話もできなくなってしまいました 。マイケルはよく 面倒を見る 優しい夫でした。
メリーエレンの症状が進んでからは、以前のように6人で会うことはなくなってしまいました。でも私とマイケルの友情は変わりませんでした。料理上手のマイケルは私をディナーに呼んでくれて、一言も話をしない(できない)メリーエレンと一緒に食事をしたこともあります。
私にできることは彼の話を聞くことしかありません。 それで1週間に1度くらい ワインバーでハッピーアワー(午後4時ころから5時か6時ころまで)にワインを1グラス飲んで メアリーエレンの進行状況や介護の話など 話を聞いてあげてました 。「これぐらいしか できなくてごめんね」
「誰にも言えないことを エミコに話せるだけでも ありがたい。もうどうしたらいいのかわからなくなるんだ」と涙を流したこともありました。 彼が店で仕事をしている時とか、外出しているときには、ヘルパーさんが来ていました が、室内に彼女が座っている 椅子が見えるようにセキュリティのカメラを設置して、いつもチェックしていました。
「 エミコはこれから何するの?」 2人で短い時間 だけどワイン を 飲んで別れる時に聞かれました。
「ホールフードで今日の夕飯の食材を買って帰るわ。 マイクは?」
「 彼女の ダイパー を買って帰る 」と、 そんな会話も稀ではありませんでした。 でもさすがの マイケルも一人でメリーエレンの面倒を見ることができなくなって、遂に施設に入れることにしました。メリーエレンは1年後にそこで亡くなりました。
「担当の人から電話が入って、『亡くなる前の症状が出てきてるので、すぐ来るように』という電話が入ったんだ」と、ある 朝、マイケルから電話が入りました。急いで施設に駆けつけました。 メリーエレンは施設の個室で眠ってるようで、まだ息をしてました。 シカゴから飛んできたお姉さんとメリーエレンの親友のスーザンと 私とマイケルと、朝から夕方までずっと 彼女を見守りました。その日は持ちこたえたのですが、翌日の早朝に亡くなりました。享年55歳でした。

最愛の妻を亡くした後のマイケルは、まるで糸が切れたタコのようで、 私が知っているマイケルはどこ行ってしまったのだろうと思うほどでした。 一人でいることに耐えられないと言って、ネットの出会い系サイトを通して、デートをしていたんだけれども、どのデートも実りませんでした。 そしてマネージャーとして雇っていた 21歳の女性と親密な関係になってしまいました。 私は「本気ならそれでもいいんじゃないの 」と言ったのですが、60歳の彼と21歳の彼女 では、年齢の差を克服できなかったようです。 彼女はサンデイエゴで新しい彼と一緒に住むといって引っ越して行きました。
コロナ惨禍中はもちろん会うことがなかったのですが、コロナ惨禍が終焉してからも、以前のように会うことがなくなってしまいました。 私自身が外へ出ない 暮らしに慣れてしまったのです。 彼と一緒に夕食をすることも、 数ヶ月に1度くらいになってしまいました。

彼が亡くなる一週間前です。
「2024年は 外へ出る年にしようと決めたの。来週、一緒に食事しない?」 マイクのお店をに寄って夕食に誘いました。商談中でしたが、快く返事をしてくれました。
「オーケー、 来週のいつがいいの ?」
「いつでもいいよ」
「 じゃあ 木曜日か金曜日にしょう。後で電話するね」
「オーケー、 じゃあ、 電話待ってるわ」と言って別れました。
その時のマイケルは一瞬引いた感じで、少しくらい暗い目をしていたのですが、自殺を計画してる人のようには 見えませんでした。 でもそれは私が注意を払っていなかったことなのかもしれません。木曜日になっても電話が入りません。 金曜日に「今日のディナーはどうですか」とメッセージを入れたら、「ごめん!仕上げなきゃいけない仕事があって、今日はディナーは無理。月曜日にまた連絡するからと」返事が来ました。月曜日にも、火曜日にも連絡来なかったけれども、 まあ 忙しいんだろう、 この次にまた会えばいいと思って、そのままにしてしまいました。
水曜日になって娘と車に乗っていたら、娘の携帯電話にマイケルの店の新しいマネージャーからメッセージが入ってました。娘はマイケルの店の契約書作成をしたので、マネージャーは娘の携帯電話の番号を知っていたのです。メッセージをチェックした娘が「マイケルに何か大変なことが起こったみたい。もしかしたらマイケルは死んだのかも、メッセージの声が普通じゃないのよ」とすぐに電話をしました。
私は「何を言ってるのよ」という感じで、 娘 が電話をしている様子を見ていました。
「ママ、マイケルは死んでしまったよ。自殺したのよ」
「そんなことはありえないでしょう。マイケルが自殺するなんてありえない」あまりのショックで涙も出ません。私の電話番号はマイケルの携帯電話に入っていますが、 もう 警察が入ってるので、誰も彼の携帯電話を開けることができません。 マネージャーが娘の番号を持っていたので彼女が娘に電話を掛けたのです。
その時のショックは言葉では表現できません。 自らの命を絶ってしまったというのと、 車のなどの事故で突然亡くなってしまったというのでは、全く違う心の痛みを感じる ということがわかりました。
どうして自殺をしたのか、憶測はできても本当のことはだれにもわかりません。

金曜日にオーケーだけじゃなくて、なぜ何かメッセージを送らなかったのだろ。月曜日カ火曜日に「まだ忙しいの?」と彼を思いやるメッセージを送らなかったことを悔みました。
「どうしてディナーを断ったのだろう」と何度も自問する私に「マイケルはママにサヨナラを言いたくなかったのよ」と、娘が慰めてくれました。
今は彼の思いやりだったんだと思うようになりました。もし亡くなる一週間前にディナーをして、いつものようにさよならしてたら、自殺を計画していた彼のことを察知できなかった自分を責めたと思います。マイケルがいつもの彼を演じたこと、何も言ってくれなかったことなど、一生考え続けることになったでしょう。
亡くなる一週間前に突然思い立って、彼の店に顔を見に行ってよかったです。
「じゃあ、来週、会いましょう」と言う私に、商談中なのにわざわざ私のところまで来て、ハグをして頬にキスをしてくれました。彼なりのサヨナラだったのでしょう。私もサヨナラしたかったというかなわぬ思いがあります。彼の奥底に潜まれた暗闇を私は読み取ることができませんでした。おそらく彼を知っている人たちも同じだったと思います。
その後、 1週間は彼の店の前へ行くことができませんでした。 ついに勇気を出して店の前 に行ってみました。 ドアも 窓口もぴったり閉まっています。 ドアの前にどなたかがお花をお供えしてくださってました。

マイケルは、もう、この世にはいないのだという事実を認められるようになりました。それでも、このことをマークに話そうと、ふと思うことがあります。彼の優しい笑顔が心に浮かびます。 そして「マイケルはこの世にいないんだ」と頭の中で繰り返して確認します。 これはどなたでも、 例えば亡くなった私の両親についても同じですが、亡くなった哀しみ、 会いたいというつらい気持ちは同じかと思うんですが、衝動的ではなく、重要書類をきちんとテーブルに並べて、計画的に自分の意思でこの世を去ったという事実が心に突き刺さります。
仲の良い友達でも心の奥底に潜んでいる 暗闇を知ることはできないということを今更ながら認識しました。

white flower
来週、 彼を偲ぶ会 がプラザの公園で開かれます。誰にも優しくて親切で明るかったので、 たくさんの人が偲ぶ会に参加されることと思います。
マイケルはメリーエレンと再び一緒になって、苦しみも消えて幸せだろうという風に考えると心が安らぎます。

待ち合わせは三越のライオンの前で