ソノマの暮らしブログ

センチメンタルジャーニーその7



東京に戻りました。ほっとしますね。清潔で全てがスムーズに作動してる感じがします。今回の東京訪問は私のセンチメンタルジャーニーになりました。

若きころ、最高裁判所付属の速記官研修所で2年間裁判所専用の速記官になる訓練を受けました。その研修所が湯島神社と不忍池の間、すぐ近くにある旧岩崎邸園だったのです。

そのころでも、珍しいスパルタ教育でした。早朝、授業が始まる前に研修所に行って練習、そして授業、授業が終わると寮に帰って夕食、その後、また研修所に戻って練習。毎週スピード試験があって、そのスピード試験にパスしないと、たった一人でもパスするまで取り残されて、練習に励まなければなりません。もしたった一人だけがクラスで一番の早いスピード試験にパスしたら、その後もたった一人で練習、そして試験を受けていきます。

昔の話をするのはあんまりかっこよくないので、ほとんどしないのですが、私の性格を変えたと思う体験をしたので、ちょっと甘えて書かせていただきます。

速記官としての最終試験がありました。その日、東京ではめずらしく雪が降って電車が止まるほどでした。私はたった一人でスピード試験を受けなければなりませんでした。というのは、それまで、まあ、みんなと一緒にん進んで行ければいいやと思って練習してきたのですが、憧れの教員(元速記官)に呼ばれて、

「君はもっと早く速記が打てるはずだ。何でちゃらんぽらんとしているのか。教員は毎年どのくらいのスピードで速記を打てる生徒が出るのか最高裁から監視されている。だからもっと僕ら教員のためにがんばってくれないかな」

「じゃあ、私がスピードを上げれば、教員のために役に立つのですよね?」

「その通り、がんばってみてくれるか?」

「わかりました。では教員のためにもう少しスピードを上げるようやってみます」と約束。その教員のために、がんばったのです。その結果、クラスで私だけが最高のスピードに達してしまったので、最終試験をたった一人で受ける羽目になりました。おまけに私の試験は最後。他の生徒がグループで試験を受けている間、私の試験の番が来るまで待っていなければなりません。待っている間のテンション、緊張感と孤独感、体が震えました。おまけに私があこがれていた教員が読み上げる(それを速記タイプで打っていくのです)はずだったのが、雪のために遅れて、私にはなじみの少ない教員が読み上げることになってしまったのです。憧れの教員は低音で優しく説得力のある声で読み上げるのですが、この日の教員は高音で読み上げるのでした。幸いにも、この試験にパスしましたが、孤独に耐えること、どんな状況でもパニックしないことを、徹底的に叩き込まれたと感じています。

そんなわけで、素晴らしい環境にいても、まるで関係なし。練習とスピード試験、緊張感に明け暮れる毎日でした。午後からは最高裁の判事が来て法律を教えてくれました。体育の時間もあったんですよ。バレーボールだと指をくじいて練習が出来なくなるので、サッカーでした。そのころは女性がサッカーをするのは珍しいというので、サッカーの雑誌が取材に来たほどです。



旧岩崎低は文化財に指定されているほどの素敵なお屋敷で、森鴎外の雁という小説が映画化されて、そのロケがここで行われてました。主演は若尾あや子(漢字がわかりません)と山本何とかいう俳優さんでした。ファッション雑誌もよくここで撮影してました。

でもそんなこともまるで関係なく、スピード試験にパスすることだけを考えて黙々と速記タイプの練習に励む毎日。

そんな旧岩崎邸を数十年ぶりに訪ねました。今は旧岩崎庭園として入場料を払って入る庭園になってました。それにしても何て素敵なお屋敷なんでしょう。でも昔通った学校に、入場料を払って入るというので、不思議な気持ちでした。

この素晴らしいお屋敷の詳細についてあまり記憶がないので、自分の記憶力を疑ってしまいました。でも午後の手形法を勉強するクラスになると決まって居眠りをしていた2階の教室、サッカーをした緑の広場、侍映画に出てくるような大名屋敷の広々とした畳の部屋で、縁側を開け放して、庭のアジサイを眺めながら、茶道とお花のお稽古をした部屋は記憶に残っていて、しっかりと思い出しました。

若かった私は、こんな素晴らしい環境で学んでいたということに対する価値観がまるでなかったのだなあという、感慨にふけってしまいました。いつも塞ぎこんで歩いていた細かな砂利を敷き詰めたお屋敷のなだらかな坂道と鮮やかなアジサイを眺めながら旧岩崎邸を出て帰路に着いた次第です。

読んでくださった方、ありがとうございます。センチメンタルジャーニーは今回で終えました。次はキューバに行くことになりそうです。

      

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