ソノマの暮らしブログ

ニュルンベルグの文書センター

4月半ばから5月にかけてドイツ、オーストリア、アルバニアへ行ってきました。

それぞれ、特色があって楽しかったです。

どこにあるかも知らなかったアルバニアですが、バルカン半島にあって、1990年まで鎖国状態だった国だということまでは調べて分かりました。なのであまり期待していなくて、不安と好奇心で夫に引きずられる形で行ってきました。行ってみて驚きました。まだまだ裕福な国ではないいですが、新鮮な野菜と魚介類肉類が豊富で、何よりもよりも驚いた(感激した)のはカフェ文化が発達していてあちこちにカフェがあってエスプレッソがイタリアと同じくらいに美味しいのです。

インターネットは大半のレストランでも使えました。速度も速かったです。

きちんと舗装された山中の国道の端(傾斜地)をヤギが7匹くらいずつ草を食んでいて、山羊飼い?のおじさんがのんびりと後をついて歩いていました。

行ってみなければわからないもんだなあという感想です。

話が外れてしまいましたが、昨年の11月に次いでまたドイツのニュルンべルグに行ってきました。前回は交通手段を間違って、ナチ党大会会場文書センターへ行く時間がなくなってしまいましたが、今回は友人たちがベストの行き方というのを調べて教えてくれたので、無事について、十分に時間をかけて記録を見る(読む)ことができました。

ニュルンベルグはナチの軍部があった街で、戦争裁判が行われたことで知られていますよね。私も、それくらいしか知りませんでした。そしてかなり否定的な印象を持っていました。でも戦後のこの町の人たちは(多分ドイツ全体が)絶対に過去の過ちは繰り返さないという強い意志を持っていて、ドイツの友人たちはリベラルで人種差別に敏感でした。学校教育が徹底してるなあと感じました。ドイツはたくさんのシリア難民を受けれています。もっとも受け入れすぎで国に歪みが出てきていると、アメリカのメディアは報道していますが。

市内を走るバスに乗ったのですが、なんとバスの乗降口が歩道と同じ高さなのです。お年寄り(私も含めて)や体の不自由な人たちがよいっしょと頑張ってバスのステップをよじ登らなくてもいいのです。細かいところまで政策が行き届いているなあと感心しました。

ニュルンベルグはもともとは古い町で1800年代から繁栄していたんですね。1835年にドイツ初の鉄道が敷かれてます。

なぜヒットラーがこの町を選んだのか。

神聖ローマ帝国と関連があったこととドイツの中心部に位置していたことから、ナチ党は巨大なナチ党大会の場所に選びました。特にヒットラーが力を持ち始めた1933年にこの町で開かれた大規模な大会を宣伝映画?として作成、大きな影響を与えました。そして第二次世界大戦時は軍の本部として使われています。

1945年1月2日にイギリスとアメリカの空軍による大爆撃で1時間で町の約90%が破壊されたそうです。いうまでもなくこの町の多くの住民が死亡しました。

戦後、古い町並みを再現した地区があって良きヨーロッパを彷彿とさせて素敵でした。

広々とした文書センターには悲惨な事実が客観的に正確に淡々と記録されていました。本当にすごい規模でナチスは拡大して行ったんだなあと驚きました。600万人のユダヤ人が殺戮されたと記録に記載されていました。

高校生もセンターに来ていました。教育の一環なんでしょうね。静かに記録を読んで、最後のコースであるビデオを沈んだ様子で見てました。

ナチスが牛耳っていた当時、小学生だったという二人の女性の証言がビデオで紹介されていました。

「そんなひどいことが起こっているのは知らなかった。クラスの友人が消えて行ったけれど、お金持ちだからどこかへ休暇に行ったのかなあと思ってました」と二人は話してました。

そのことを友人のドーニャ(50代)に話したら、「うそよ。絶対に知ってたはず」とキッパリと言いました。同国人だから「そうかもしれないね」くらいで話を止めるのかと思っていたので驚いたと同時に、歴史を客観的に学んだのだなあと実感しました。そして最近、右翼が台頭してきたことに顔を曇らせていました。

この国で何が起こって、なぜ起こったのかを記録していて、学校での教育でも徹底して教えているようです。

日本では?

私は歴史のクラスで、日本が中国をはじめアジアを侵略した時代からなぜ世界第二次大戦に繋がったのかについては教えらませんでした。その前で終わってました。時間がなかったのか、政府の方針なのかはわかりませが、、、。

アメリカへ来て真珠湾攻撃について知りました(無知!!!)

今の日本の学校教育では、アジア侵略時代、世界第二次大戦を含む歴史が教えられているのかしら?

戦争記録史とか太平洋戦争映像記録史、ドキュメンタリーや戦争の残酷さを示したセンターはあるようですが、県や国が作った冷静に客観的にアジア侵略の経過を展示した歴史館、外国人や学校の生徒も訪れて学ぶ というのは存在してないようですね。

もし、今の学校教育でも私の時代と同じようにアジア侵略から終戦に至るまでの経過が教えられず、スキップされているとしたら、日本が万が一、国際的な危機に陥った時、どんな風に判断するのかなあと、不安です。

きちんと客観的な事実を把握していないと、ソーシャルメディアの偏った情報に翻弄されかねません。

実際にトランプ大統領の選挙のときに、ロシアがソーシャルメディア(フェイスブック、ツイッターなど)を使って流した大量のうその情報を何百万という人たちが信じて、トランプに投票しています。

アメリカに住んでいると、情報操作が日常的にされているのを肌で感じます。どの情報が正確なのか、情報元をきちんと調べてないと、方向性を失ってしまいかねません。

日本はまだ大丈夫なんでしょうね。

魔の免許更新
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